「暮らし、シケてんな」と思ったら、引越したくなるんです|椿鬼奴さんの引越し遍歴
最終更新日 2022年03月08日
※取材は、新型コロナウイルス感染症の予防対策を講じた上で実施しました
「最近なんだかシケてんな〜と思ったら、引越したくなります」
お笑い芸人・女優の椿鬼奴さんは、いわゆる引越し魔。2年ごとに引越していた時期もあるほど。マンションから団地、木造アパートまで、さまざまな家に住んできました。
一方、引越しを繰り返しながらも一貫してきたのは、「家族」と一緒に「賃貸」へ住むこと。椿さんにとって引越しは、家族との人生と紡ぐうえでなくてはならないものでした。気持ちが停滞した時、収入が減った時、はたまた「霊がいた」時、それぞれの引越しの裏側にどんなエピソードがあったのでしょうか。
今回、椿さんにこれまでの引越し遍歴や過ごした街の思い出を伺いつつ、その半生を振り返っていただきました。
椿鬼奴さん:1972年4月15日生まれ。東京都渋谷区出身。お笑い芸人、タレント、女優、歌手として映画や舞台、ドラマなど多方面で活躍している。近年の出演に、『グランメゾン東京』(TBS系)、『世界の果てまでイッテQ!』(日本テレビ系)など
代官山から日吉へ行く物語
――さて、椿さんの引越し遍歴をざっとまとめるとこんな感じとのことですが、生まれてから長く代官山に住んでいたんですよね。
椿鬼奴さん(以下、椿):はい、20歳のころに両親が離婚するまでは代官山にあった持ち家のマンションで暮らしていました。3LDKの広さに家族4人で。
離婚をきっかけにマンションを売ることになって、母と2つ年下の弟と一緒に日吉へ移りました。これが最初の引越しでしたね。そこから今まで、8回引越しています。代官山時代以外はずっと賃貸で、2年ごとに引越していた時期もありましたよ。
――特に印象深いのは、どの引越しですか?
椿:やはり、最初の代官山から日吉への引越しです。とにかく物が多くて、かなり片付けたんですけど、それでもめちゃくちゃ大きいトラックで荷物を運び出したのを覚えています。
引越し先の日吉の家は2LDKでした。3人暮らしなので個室が足りないけど、私は特にプライベートな空間がいらないタイプだから、リビングの一角を仕切ったスペースで生活していましたね。途中から従兄弟も一緒に住むようになったので、そこに二段ベッドを置いて寝てました。大人なのに二段ベッド。みんなでワイワイ暮らすのが好きなんです。一人暮らしは怖くて、いまだにできないですね。仲良くない人でもいいから、誰かと一緒がいい。
――代官山から日吉へ移って、生活環境もかなり変わったのでは?
椿:一番の感動は、大きなスーパーが近くにあったことですね。サンテラス日吉(編集部注:2016年に閉館)っていうショッピングセンターにあった「ユニー・サンテラス日吉」です。代官山には小さなスーパーしかなかったので、ユニーにしょっちゅう通えるのがうれしくて。中にエスカレーターがあること、洋服が買えることにびっくりしました。代官山のおしゃれなセレクトショップより、ユニーの洋服売り場にテンションが上がりましたね。
あと、サンテラスのマクドナルドでバイトも始めました。代官山にはみんなが知っているチェーン店がほとんどなく、日吉に来て初めて、暮らしの“あるある”みたいなものを知れた気がします。
――ご自身の率いるバンド・金星ダイヤモンドでも『代官山から日吉へ行く物語』という曲を作詞されています。椿さんにとって、代官山から日吉への引越しはそれほどまでに印象深い出来事だったんですね。
椿:そうですね。持ち家から賃貸へ、という住む場所の変化だけでなく、ここから母・弟との長い生活が始まるという意味では、人生においても一つの転機だったような気がします。
借金とハードワークで荒んだ生活
――しかし、日吉が「安住の地」とはならず、そこからかなりのペースで引越しを繰り返していったと。
椿:そうですね。当初はお金の問題でやむを得ず引越すことが多かったんですけど、だんだんと引越し自体を楽しむようになりました。
引越しは“強制的な模様替え”で、生活だけじゃなく気持ちも刷新できるイベントだと思っています。私は日吉に来て「新しい街で暮らす楽しさ」を知ったし、母も離婚後の落ち込んだ気分を前向きに切り替えられたんじゃないかな。
――日吉以降の引越しについて、詳しく教えていただけますか。
椿:最初は、同じ日吉内で引越しました。新しくできたUR(都市再生機構)の団地を母が見つけてきて。家賃は14万円くらい。家賃も間取りも、前の家とほぼ一緒だったんですけど、敷金・礼金と更新料がいらないということで。
でも、私と弟が成人したことで父から養育費が支払われなくなって、すぐに家計が厳しくなりました。それで、家賃7万円のあざみ野の団地へ引越したんです。母が急に「もっと安いところに行くわよ」って、勝手に決めてきちゃって。当時は母が家計の大黒柱でしたから、有無を言わせず。もっと相談してほしかったですけどね(笑)。
引越し先はものすごく古くて、しかもあざみの駅からバスと徒歩で15分くらいかかる場所。バスの最終便を逃すと大変なんです。
――となると、あまり遅い時間まで飲めないですね。
椿:まあ、それでも飲んでましたし、しょっちゅう歩いて帰ってましたけどね。当時は30歳で、ピン芸人になったころでした。売れてないのに、妙に忙しくなってきて。でも、お金はないから9時~17時でテレアポのバイトに勤しんでいました。
深夜から朝にかけて、先輩のマンボウやしろさんが主催する劇団の稽古をやって、漫喫で仮眠をとって、テレアポのバイト。その後、新宿のルミネなどで劇場の仕事が入る時もあるので、合間の時間を見つけて家に帰り、お風呂に入っていました。当時はものすごくハードでしたね。
――そんなにハードなのに、お金はなかったんですか?
椿:カツカツでしたよ。最終のバスを逃してタクシーに乗ったり、朝まで飲んだりして。お金がなくて引越したのに、むしろ出費が増えました。
おまけに、パチンコをやるんですよ、私。給料が入ったらまず生活費を母に渡して、あとはパチンコ代と飲み代にほぼ消えました。給料日前に手持ちのお金をパチンコで増やそうと思ったら全額スっちゃったこともあります。
――芸人さんらしいといえばらしいですが、荒んだ毎日ですね……。そんな、あざみ野でのしんどい日々を経て、次はどの街へ?
椿:武蔵小杉ですね。あざみ野の家よりさらに狭い、2Kの木造アパートです。引越しのきっかけは、「風水」でした。
――風水? どういうことですか?
椿:母が風水に凝っている会社の同僚から、「今住んでいる家はよくない」って言われたらしく……。街や部屋がどうこうじゃなくて、私たち家族が引越した時期と方角がよくない、と。引越してからそんなこと言われたってどうしようもないんですけど、母がすごく気にしてしまって。
母を安心させるために風水の本を買って、それがきっかけで私も風水に詳しくなりました。最終的には九星気学も勉強しましたよ。
――すごい! でも、結局は引越すことになったんですね。
椿:そうです。武蔵小杉に引越したタイミングで弟には一人暮らしを始めてもらって、母と2人暮らしになりました。ボロい木造アパート暮らしが今どき珍しかったのか、取材や自宅ロケが増えましたね。明石家さんまさんも家に来てくれたりして。生活は相変わらず大変だったけど、仕事はうまくいってました。
ただ、さらに飲み会が増えたので、出費はうなぎのぼりでしたね。深夜のタクシー代が7000円くらいになって、飲み代より高い。家賃を抑えている意味がありませんでした(笑)。
木造アパートで起こった「怪奇現象」
―――武蔵小杉の木造アパートの次はどちらへ?
椿:武蔵小杉の次が、今まさに住んでいる街ですね。テレビの仕事が増えてギャラもよくなったので、母と都心に移りました。でも、引越しグセは抜けず、そこから同じ街で3回も移動しているんですけどね。
――3回も。なかなか落ち着きませんね。
椿:この街に来て最初に住んだ家は、わりと家賃が安かったんです。ただ、収入は上がっていたし、母も代官山を出てからずっと苦労してきているので、ここらで思い切って“いい家”に住もうかと。それで引越したのが、2人暮らしなのに3LDKのマンション。隣には大使館の駐在員の方が住んでいましたね。
ただ、その後に夫の大さん(お笑いトリオ「グランジ」の佐藤大さん)と付き合い始め、引越すことになりました。大さんはお金が全然ないどころか、借金を抱えていました。だから、少しでも生活費を抑えるために、近くで安い家を探したんです。結局、入居前の修繕やクリーニングをしない代わりに相場よりも安いところが見つかって、母と2人で暮らし始めました。
――でも、そこもわりとすぐ引越したと。
椿:はい。ある日、大さんが「この家、霊がいる」って言い始めたんです。特定の部屋から、声がすると。私は全く感じていなかったんですけど……。
武蔵小杉の家でもこういうことがあって。人形やタンスの上に置いた段ボールが勝手にカタカタ動いたりしていました。
――それは怖い……。特に害がなくて、自分が気にしなければ問題ないのかもしれませんが……。
椿:そうそう。そのころは仕事の調子もよかったし、私は全く気にならなかったですね。
大さんと住んでいた家に話を戻すと、とはいえ大さんがあまりにも気にするから、私もなんとなく気持ち悪くなってきて……。あと、押入れの天袋からフライドチキンの骨(食べかす)が出てきたんですよ。前の住人がそこに捨てたのか、猫かネズミが運んできたのか分かりませんが、それでなんとなく嫌になって、わりとすぐに引越しました。
――そこから、現在のマンションに至ると。今の家は、わりと長くお住まいのようですね。
椿:私にしては珍しく2回も更新して、もう5年目になりますね。本当は前回の更新時に引越したかったんですけど、コロナ禍で見送りました。ひとつの家にこんなに長く住んだのは、代官山時代以来ですね。ただ、猫を飼いたいので、コロナが収束したらペット可の物件に引越すと思います。
28年未開封の段ボールから出てきたのは……
――本当に何度も引越しを繰り返されてきたんですね。想像以上でした。
椿:そうですね。先ほど引越しは“強制的な模様替え”と言いましたけど、同時に“強制的な大掃除”だとも思うんです。私にとっては引越しが大掃除の代わりなんです。ただ、大掃除とは言っても、次の家に全部持っていくだけなんですけどね。
本当、物が捨てられないんですよ。この前、自粛期間中に家の中を片付けていたら、なんと代官山から引越した時に運んだ段ボールが、未開封のまま出てきましたからね。自分でもさすがに引きましたよ。
――タイムカプセルみたいですね。何が入っていましたか?
椿:弟の思い出の品ばかりでした。特に印象深かったのは、端午の節句の兜飾りセット。その兜飾りの中から、代官山の家で飼っていたシマリスの餌の種も出てきて……。リスっていろんなところに餌を隠すから、日吉に引越した時もしばらくは種が出てきてたんですよ。でも、28年ぶりに出てきたのはさすがに笑いました。
――でも、いい話です。
椿:そうですね。ちなみに、兜飾りに添えてある小刀は『鬼滅の刃』(集英社)の竈門炭治郎のコスプレに使いました。ベルトに刺しておくと、「刀ですか?」と聞かれるんですけど、実際に抜いてみたらめちゃくちゃ短いっていう。わりとウケるので、去年はけっこうお世話になりましたよ。
(本人提供)
それでも「賃貸」が好き
――リモートワークが普及し、これまでのような都心一極集中の住まい環境を見直すような動きが広がっています。芸人さんのなかでも、例えば郊外に住みたい人が増えているのでは?
椿:増えている気がしますね。例えば郊外に家を建てて、DIYを楽しむとか。その先駆者はバッファロー吾郎の竹若(元博)さんですね。図面や基礎などはプロなどにお願いしつつも、大部分を手づくりで建てられていて、すごくおしゃれな家なんですよ。竹若さんに憧れて、郊外で自宅をDIYしたいと思っている芸人は多いと思います。
あと、昔は新宿に近いということで中野あたりに住む芸人が多かったんですけど、今はエリアも含めた住まいの選択肢がすごく広がっているように感じますね。
――椿さんも、ゆくゆくは一戸建てを建てたいと思いますか?
椿:いや、私は賃貸のほうがいいかな。やっぱり、いつでも引越せる自由というのは、何にも代えがたいですよね。私の場合、なんとなく「暮らしがシケてんな〜」と感じた時に、引越そうと思うんです。新しい街と家に移ることで、いつでも気軽に再スタートが切れる。私にとって引越しは、人生を切り替えてより良いものにするために欠かせないものなんだと思います。
取材・文:榎並紀行(やじろべえ)
写真:関口佳代
衣装協力:PUNYUS、原宿シカゴ
編集:はてな編集部
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・第3回 村雨辰剛さん:引越しは夢をかなえるための“革命”。新しい環境を求め日本移住、そして庭師に
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